アートを商業化した『アンディーウォーホル』

トマト缶やバナナのアートを見たことありますよね?

それらの作品の生みの親がアンディーウォーホルです。

メン・イン・ブラックではエージェントとして出ていましたが、ホントはどんなアーティストだったんでしょうか?

今回はアンディーウォーホルについて書いていきます。

アンディーってどんな人なの?

本名はアンドリュー・ウォーホラ(Andrew Warhola)

1928年アメリカに生まれたアーティストで、ポップアートの巨匠として名前を残し1987年58歳で亡くなりました。

1960年代に商業デザイナーとして成功した彼は、キャンベルスープやコカコーラ、バナナをモデルにしたアートなどおそらくそれまでのアーティストと比にならないほど桁違いの作品数を残しています。

というのもそれまでは、アートと言うと一品物というイメージがありました。

しかしアンディーは、もともと社会に出回っている商品をシルクスクリーン(版画一種)で大量生産することで、街中、はては世界中に作品を出回らせました。

そりゃ作品数桁変わってきますよね、いままでは一枚一枚筆で描いていた所を、版画版さえ作ってしまえば

『スラーー、、はいっ完成!』

ですからね。

因みに彼はラクしたかったわけではなくて、、この手法で大量生産社会を表したと言われています。

アーティストの集まる場所ファクトリーを設立

『ファクトリー』とはアンディーがニューヨークに創ったスタジオの名前で、アンディーのアトリエとしてだけではなく、美術家やミュージシャン、トランスジェンダー、俳優などが自由な思想を持つ人々が集まるサロン的な場所でもありました。

ファクトリーの内装は壁から何から銀色一色に統一され、唯一中心に真っ赤なカウチソファーが鎮座していたそうです。

ここでアーティスト達は切磋琢磨したり、共にコラボレーション作品を作ったりしていました。

ロックバンドのプロデュース

『絵画にはもう力がないし、音楽とアートとフィルムをミックスするいい機会だと思うんだ』

アンディーは表現を絵画のみに収めず『ベルベットアンダーグラウンド』というバンドをプロデュースしました。

このバンドは商業的に成功することはありませんでしたが、フリーキーなサウンドとセクシャルタブーや薬物などを題材にした歌詞は、デビットボウイやパティ・スミスなど多くのアーティストに影響を与えました。

アンディーの作品ってなんぼする?

下世話な話ですが、今絵画の価値はそのままドルと比例する時代です。

絵が描かれた背景や人間関係を知らない人にとっては、分かりやすい目安の1つとして参考になります。

アンディーウォーホルの最高額の作品はこちら

『トリプル・エルビス』

8190万ドル!

日本円で98億円です。

馬鹿らしいですね!

この作品はアンディーが1963に制作したの初期の作品になります。

アンディーは同じモチーフを何回も反芻して作品にする傾向がありました。

エルビスも彼の好きなモチーフで、エルビスだけで22点もの作品を制作しています。

因みにこの作品は現状出回っている作品の中では最高額ですが、代表作で一番知名度もある『マリリンモンロー』がもし市場に出たら150億からオークションがスタートすると言われています。

まとめ

『もしアンディー・ウォーホルのすべてを知りたいのならば、私の絵と映画と私の表面だけを見てくれれば、そこに私はいます。裏側には何もありません。』

とアンディーは語っています。

僕は彼の作品に到底100億円を出す気にはなれません。

なぜかと言うと、簡単に作れそうだし、、今こういうの結構世の中に溢れてるし、、、(ってかそもそもそんな金ないんですけどね、、、)

ただ、アンディーの時代は多分全然違ったんでしょう。

彼が登場する以前と以後では確実に、それも大きくアート界は変化したんだと思います。

今までなかったものを当たり前にした。

そういう意味でアンディーウォーホルはやっぱり歴史に名を残すアーティストだったんだなと思いました。

まぁ買いませんけどね、、

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください