『恨めしい比謝橋は情のない人が
私を渡そうと思ってかけたのでしょうか』
沖縄の2大道路、58号線を北谷よりもう少し北に行くと、比謝橋という橋があります。
昔、真栄田岬など北部へ向かう時に何気なく通っていた橋ですが、隣にひっそりと石碑が立っているのも気にせず渡っていました。
今回ふと気になったので石碑を読んでみる事にしました。すると意外と興味深かったので紹介します。
歴史ある橋『比謝橋』
目次
こちら結構歴史がある橋らしく、木造、石造と来て、今は鉄骨製で作られています。
読谷村の戦跡めぐり
破壊できなかった橋-比謝橋- より引用
今でこそ何気なく使われている橋ですが、もともとこの橋は国頭と中頭を結ぶ橋として重宝されていました。つまり、沖縄の北部と南部をつなぐ橋だったわけですね。
流通や交通などに便利だった反面、戦争においても、その利便性が逆に利用されてしまい、薩摩侵略やアメリカ軍侵略でこの橋を使われてしまったと言う記録が残っています。
沖縄の女流歌人吉屋チルー
また当時、遊郭に売りに出されてしまう女性にとっては恨めしい橋でもありました。

石碑に書かれている歌も、沖縄の女流歌人『吉屋チルー』によって謳われたものです。
彼女は8歳の時に那覇仲島の遊郭に身売りされることになり、この橋を通りこの歌を謳ったそうです。
その後、彼女はお客さんと恋をするわけですが、別の金持ちに身請けされてしまいます。その悲しさから、絶食をし18歳で亡くなってしまいます。
何だかドラマに出てくるような人生ですね。
彼女の人生については『苔の下』という伝記に記されているそうです。
ただ、この本探してもないんですよね、、、
比謝橋の場所はこちら
まとめ
累計して5年ほど沖縄に住んでいますが、全然知らなかった。
普段気にしてない石碑なども、少し気を止めて見ると色々と知れることがあって面白いですね。
ドライブしたりする時に、なにか気になるものがあったら少し、車を停めてゆっくり見てみるのも良いかもしれませんね。
余談
比謝橋は初め木造だったらしいんですけど、痛むのが激しくて修理を良くしていたらしいです。
でも、当時は橋専用の修理業者なんかいるわけもなく、そこら辺に住んでる民衆が駆り出されていたらしいんですね。
民衆だって暇じゃないもんだから、きついよーって思いながら作業していたらしいですけど、1717(康煕56)年に木造から石橋に改築されて、修理があまりいらなくなくなって大変喜ばれたらしいですよ。