自分

どうもタケシこです。

そうたろうが漫画で面白いトピックを取り上げていたので僕も同じテーマで書こうと思う

何故なら僕はニュージーランドで気を病んだのだが、その原因の1つがこの「自分」というものである。

今はお陰様でようやく「自分」を再構築させて前に進もうとしている状態なのだが

「自分」について、僕が今思う事を徒然なるままに書こうと思う。

まず僕がニュージーランドで何故気を病んだか。

それは

「現実の自分」と「理想の自分」のギャップがあまりにも開きすぎて多重人格のような状態になったから。

当時の僕の理想の自分像
「毎日を全力で楽しんでいる。活動的。逆境を難なく跳ね返す。なんだかんだ夢を叶える自分」

そして、自分自身そういう人間だと言い聞かせていた。
つまり、理想の自分が今の自分だと思っていた。

だから当時の裏の「自分」を完全に無視していた。

理想とは裏腹に全く前には進んでいない現状。

自分はその理想とはかけ離れた状態で、それに気づいているのにずっと無視して、
「活動的」に明るく過ごしていた。

ポジティブな思考でいる事は大切な事だと自分に言い聞かせていたし、自分自身ポジティブな思考回路を持っていると思っていた。

でもニュージーランド旅のある時期。

色んな事が起きた。

車の故障。

仕事をしている時に頻繁に起こす凡ミス。

日本語を話せずに自分の意思を正確に伝えられない環境。

体調不良。

全然思い通りにいかない貯金計画。

沢山の人との喧嘩。

普通の神経だと笑えない状況だった。

まあ全部僕が悪いのだけれど。

だけど僕は強烈なポジティブ思考に執着した。

自分は底抜けにポジティブな人間だと信じ込ませた。

完全に現実を無視していたのだ。
ちょっとした自己催眠だ。

すると僕の「心」が耐えきれなくなった。
(ここで「心」という言葉を使うのが的確かどうかは分からないが)

ある日を境に

ズドン

と落ちた。

そこからはもうどう頑張っても僕の思考回路は正常に動いてくれなかった。

みたいな。

それで今、冷静になって思う事は

現実の自分を無視して理想の自分に執着しすぎると体が耐えきれなくなる。

思ったのだが現代人も程度には差はあるものの沢山この問題を抱えていると思う。

1つ例を上げるが

ニュージーランド旅中にとあるヨーロッパの女性と出会った。

彼女はとても明るくて、人あたりが良くて、優しくて、絶対に悪口や汚い言葉を言わない子だった。

僕が時々
「ファックユー!」
みたいな汚い言葉を使うと

「ダメよ。そんな言葉使ったら」
ってな感じで諭してくるような子。

明らかに嫌がらせをする人に対しても
「あの子はいい子よ」
って言うような子だった。

僕はそれを聞いた時、
(イヤイヤ。絶対アイツのこと嫌ってるやん)
って内心思っていたのだが

ある日。

ホステル内で、彼女の不運が続いた。

その数日後。

彼女が豹変したらしい。

僕はその時の彼女を見ていないのだが

ホステル内の黒板に彼女が書いた文章を読んだ。

その内容は

汚い言葉の羅列。
人の悪口のオンパレード。

普段絶対そういう事を言わないコなのでコレには衝撃を受けた。

それで、数日後。
彼女が落ち着いた時にどうしたのかを聞いたのだが

彼女は幼少期に多重人格のようなものに悩まされていたらしい。

ある時、急に自分の裏の顔が出てきていたそうだ。
すっごい悪口を言うような奴。

それは、大人になるにつれて治っていったが、またそれがそのタイミングで再発したようだ。

それについて、僕の経験を踏まえて思った事なのだが

彼女は「善行」に執着し過ぎていた。

悪い言葉を言ったらいけない。
人の悪口を言ったらいけない。
文句を言ったらいけない。
いつも笑顔でいなければいけない。
「善人」でいなければいけない。

そして、そういう行動をするのが
「自分」だと強く自分に言い聞かせていたのじゃないだろうか。

でも人間なんてもんはそんなに完璧にできていない。

絶対、悪口を言いたい時もある。

でも彼女の「意志」はめちゃくちゃに強かったから

どれだけ心にストレスを受けても絶対その「自分」を守り通していた。

それは自分の中にある「悪い」自分を完全に無視するという事。

それで
本来の自分と理想の自分(表に出している自分)がどんどんと乖離していって

心に負荷が掛かって

彼女の限界を越えて

ドカン


多重人格みたいな症状が出た。

という僕の見解だ。

つまり、理想の自分が今の自分だという「執着」が原因じゃないだろうか。

用はストレスなんだけど。

アルツハイマーとかも一部そうなんじゃないかと。

だからといって完全にノーストレスなのもどうかと思うが。

専門家でもない僕の勝手な発言だからテキトーに考えて欲しい。

現時点での自分の考えを何処かに残しておきたかったのでココに勝手に書いているだけだからあまり参考にしないでほしい。

話を戻しまして

だから時には
周りの評価とか自分の行動とかで「自分」を定義することなく
今の自分がどういう状態なのかって事を自分自身に聞かないといけないんじゃないだろうか。

「自分」ってのは、日々変わっていくものだから

「自分は善人だ」
ってその時決めつけてしまったら

今後善人以外の発言や行動、思考が出てきた時に
それを完全に無視して
心にストレスを与えてしまうと思う。

でもそれを決めつけないで、理想の自分像があった上でフラットに今の自分を見る事が出来ていれば

悪い行動をした時に
(ああ。オレこんな悪い所あるんだな。(理想の自分に近づく為に)コレからは気をつけよう)
ってなる

結局は今の自分を認める事が大切なのではないでしょうか。

さあ。
僕は今回「自分」というテーマで
今の自分を認める事が大切だと書きましたが

30歳バイト。
彼女ナシ。
貧乏人。
社会不適合者。

という肩書の自分は認められないので自分を変える努力をしようと思う。

ちなみにこれは現状の自分を認めた上で理想の自分に近づく為の考え方メソッドだ。

僕理論だ。

いや

思っているだけじゃ駄目なのだ。

そんな僕は今
「ふしぬやーうち」という沖縄のゲストハウスでそうたろうと働いているからどうぞおいでください。

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