最上級のコミュニケーション

どうもタケシコです!
イタリア人のデーウィットとお酒を飲んでいた。
日本の天皇の話になった

天皇は英語に直訳すると、エンペラーになるみたいだ

いや

エンペラーなのだけど、エンペラーでは、ないんだよ
政治には、一切関与しないし
「え?じゃあ誰が国のトップなの?」
「天皇だよ」

「は?じゃあ天皇は、下の人達に指示を出すの?」

「いや。出さないよ。」

「は?じゃあ誰が、国のトップなの?」
「いや、だから、天皇だよ」

「は?は?は?」

こんな感じで、話は進んでいった。

「なんて、言うかな。天皇は、象徴と言われるけど、俺らにとっては、理想の面影みたいな感じかな。」

非常に感覚的な話になった。

ここら辺から、僕らの会話は、泥沼化していった。

必死に僕の天皇感を伝えた。

そして、デーウィットは、やっと天皇を理解したようだ

「なるほどね。つまり、天皇っていうのは、大きな木なんだね」

全然ちがーう!!

そんな言葉使ってなーい!

感覚的な話って、コミュニケーションスキルの最上のものじゃないだろうかと、僕はその時思った

僕は、拙い英語で、イザナギという神とイザナミという神が日本を作って、そしてその子孫が天皇だということを説明した。

「は?天皇って、実在してないの?」

「いや、実在してるよ」
「は?じゃあ神の子孫が、日本には実在してるってこと?」

そうだよ

デーウィットは、衝撃を受けていた

「日本やべえ国じゃんか!」

デーウィットは、その場で、日本の天皇を携帯で調べ始めた

「日本、とんでもない国じゃんか!」
デーウィットは、衝撃を受けていた

そこで、デーウィットに一つの疑問が浮かんだようだ

「そのイザナギとイザナミっていうのは、キリスト教で言う、アダムとイブみたいな感じ?」

おっと。なんか話がさらに難しくなってきたぞ。
なんか。違うな。

「いや。イザナギとイザナミはGODだよ。」

僕は、そう言ったあとに思った。

いや。GODではないんだよな。

英語ではGODとしか言いようがないんだけど、GODではないんだよな。

するとデーウィットが言った。

「いや。GODでは、ないだろう」

「そうなんだよ。でもGODとしか言いようがないんだよ」

「そうなのか」

デーウィットは、日本のGODを理解したようだ。
そこで、そうたろうが言った。
「NARUTOにイザナギとイザナミって出てきたの覚えてる?」

デーウィットは、NARUTOファンである。

「え?覚えてない。漫画に神の名前を使ってるのか?」

「そうだよ」

デーウィットは、愕然としてた。

「大問題じゃないか!」

???

少し、頭を整理してデーウィットの言動が理解できた。
デーウィットにとっての「神」とは、何者も犯してはならない絶対的な存在なのだろう。
それが、クリスチャンのGODの捉え方なのだ。(たぶん)

だから、漫画に神の名前を使うなんて事は、あってはならないのだろう

デーウィットの神像では、神道の神像を理解できないのだ(僕自身も神道の神像については、本当に理解しているか分からないが)

完璧に彼にとっての神を理解したわけではない。

でも、日本人の僕らが思っている、神像とは、異なる物であることは、理解できた

そして、思った。

ああ

宗教戦争って

この、感覚の違いが招くものなのか

そして、三人で一つの結論を出した。

人は、それぞれ自分の感覚を持っている。他人の感覚を完全に理解するのは、無理だ。

それは、例え、日本人同士であってもそうだ。

誰一人として、全く同じ感覚を持った人間なんていない。

だから、大切な事は、相手が自分とは、全然違う感覚を持っているということを、理解することだ。

これ。

頭では、分かってても、本当に理解するのは難しいのだと言うことをその時知った。

自分の常識は、自分の体に染み付いている。
その、自分の常識から外れた意見が出てきたとき、人はふいに、本能的に否定したり、逃げたくなる。

視野を広く持って、

まず、相手の意見は、自分と全然異なるかもしれないということを認識して、広い心で話を聞くことだ。

相手を理解することは、自分自身を知る事にもなる。

その相手が、文化の違う外国人であれば、自分というものは、さらに顕著に現れる。

自分を探す為に、旅をしています

という人は、こういうコミュニケーションを繰り返してもいいのではないだろうか。

思った以上に、普段自分が無意識に考えている事を意識的に理解できるようになるから。

僕らは、凄く神経を研ぎ澄まして、話をしていた。

いつもの

blah blah トークでは、ない

一つの表現の違いで、大きな誤解を生むことになることは、分かっていた

それは、もう真剣で、向かい合っているようなものなのだ。

本当の、コミュニケーションとは、こういうものなのでは、ないだろうかと思った。

そんなデーウィットは、先日、イタリアに帰るために、僕らのkiwicorralを出ていった

次会うときは、英語をもっと上達させて

最上級のコミュニケーションを取り合おうと心に決めたタケシコであった。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください