笑いのモラル

※このブログは少しモラルに反した内容が含まれているような気がします。
いや

でもギリギリセーフなような気もします。
この先を読む人は、どうか暖かい目で読んでやって下さい。

僕等の

favorite beach

それが、ニユーディックスビーチだ。

ある日、僕等は皆でビーチに行くことになった。

そのメンバーの中にイギリス人の女の子が二人いた。

彼女達は、あの最高のビーチを知らなかったのだ。

そのイギリス人の女の子。ゾーイとサムにニユーディックスビーチを説明すると
彼女達が聞き間違えた
いや

僕の発音が悪かったのだ

ヌーディストビーチ

に聞こえたようだ。

笑いが起こった。

やはりシモネタは鉄板なのだ。

僕は、そこで

オーストラリアで、行ったヌーディストビーチの話をした

「女性が一人だけいたのだけど、それがお婆ちゃんで、おっぱいが溶けているみたいだったんだよ」

我ながら、品のない話をしてしまったと思った。

しかし、彼女達

大笑いしてた。

なんだ。

やっぱりそうなのか。

外国人の笑いのツボの1つに「映像化」というものがあるのだろう
話しながら、面白い映像を説明するのだ。

例えば、さっきの裸のお婆ちゃんの話。

日本人からすると大雑把で、(下品で)ちょっとインパクトのない笑い話に聞こえてしまうだろうが

外国人達は、インパクトのある面白い映像を求めているのだ。
その為には、多少ブラックなジョークになることを厭わない風潮もあるような気がする。

なるほどなるほど。

僕は、調子に乗った。

「そこのヌーディストビーチには、男の人もいてさ、ゲイの人が二人、裸で向かい合って立っていたんだよ。でも彼らのチンチンも元気に向かい合ってたんだよね」

我ながら非常に品のない笑い話をしてしまった。

日本人として情けない。
しかし、サムが爆笑してた。
ゾーイはというと目を丸くして僕を見ている。

やっぱり、ちょっとシモネタ過ぎたか?
いや
ただ

解釈を間違えていただけだった。

恐らく、僕の英語の発音の悪さだろう
ゾーイが言った。

「え?あんた、お婆ちゃんの裸見て、股間が元気になったの?」

とんでもない、勘違いだ。

すると、途中から話を聞いていたそうたろうが

「イエー(yes)」

と言った。

そうたろうもまた、ゾーイの発言を何か別の意味に勘違いしたのだ。

勘違いに次ぐ、勘違いだ。

玉突き事故だ。

もはや、カオスだ。

収集がつかない事になってきた。

そうたろう。

当たり前のように

ニコニコしながら
イエー

と言っているのだ。

俺、お婆ちゃんの裸見て、股間が元気になります。イエー。

という意味になってることに気づいていないのだ。

変態メガネ!

そうたろう!

そうたろうは、その瞬間に熟女好きだと認識されることとなった。

シモネタは、万国共通の笑いのネタだ。

しかし、用法容量を守らないと大変な事になるかもしれないと言うことを今日学んだのだった。
そして、この類の少しブラックなジョークをかますときは、笑いの種になる人が特定されないことを前提として話している。

人を小馬鹿にする笑いを起こすことができるのは、小馬鹿にされることを生業として生きている芸人のそばにいる、芸人だけではないのだろうか。

いや

そんなこともないか

モラルと笑いは、切っても切り離せない存在だ。

笑いの為に、どこまでモラルを緩めるか。

笑いのモラルは難しい

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